法 廷 遊 戯

Ritsuto Igarashi

illustration / 榎本マリコ

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あらすじ

第62回メフィスト賞受賞作!
法律家を志した三人の若者。 一人は弁護士になり、一人は被告人になり、一人は命を失った──謎だけを残して。
法曹の道を目指してロースクールに通う、 久我清義(くがきよよし)と織本美鈴(おりもとみれい)。二人の“過去”を告発する差出人不明の手紙をきっかけに、 彼らの周辺で不可解な事件が続く。清義が相談を持ち掛けたのは、異端の天才ロースクール生・結城馨(ゆうきかおる)。真相を追う三人だったが、それぞれの道は思わぬ方向に分岐して──?

五十嵐律人(イガラシ リツト)

1990年岩手県生まれ。東北大学法学部卒業。
司法試験合格。『法廷遊戯』で第62回メフィスト賞を受賞し、デビュー。

法廷遊戯著:五十嵐律人

定価本体1,600円(税別)

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法廷遊戯

物語のオープニングをコミカライズ

漫画 / 永瀬清人

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書店員さん座談会

  • 礒部ゆきえさん 旭屋書店池袋店
  • 宇田川拓也さん ときわ書房本店
  • 内田剛さん 出版販促アドバイザー
  • 川俣めぐみさん 紀伊國屋書店横浜店

――第六十二回メフィスト賞受賞作『法廷遊戯』。メフィスト賞に、また新たな才能が登場しました! 読めば読むほど傑作に間違いないという思いが強くなりまして……多くの小説に造詣の深い書店員の皆様にお読みいただく、刊行前座談会を企画いたしました。お集まりいただきありがとうございます!

内田 剛(以降、内)よろしくお願いします。僕は、『法廷遊戯』というタイトルを一目見て、法廷ミステリーというジャンルに詳しい宇田川さんがまずどう読まれたのか、気になっていました。

宇田川拓也(以降、宇)ありがとうございます。詳しい、というわけではないですが、たしかに大好きです。

――いかがでしたか?

素晴らしい、じつに見事な作品でしたね。法廷物のとっつきにくさの原因の一つに、メインとなる法廷シーンのやり取りや手続きの描写がどうしても専門的かつ単調になってしまう、ということがあるんです。その点、『法廷遊戯』は、個々のエピソードや登場人物が魅力的に描かれていて、まったく単調にならない。法廷に至るまでの物語も筋の枝葉までがしっかり描かれていて、大いに読ませるんです。

「枝葉」の描かれ方、とてもいいですよね。登場人物同士の関係性が浮き彫りになったり、予想外の展開を仕込んでいたり。墓荒らし・権田の事件の真相には、とても驚かされました。

中心人物は、ロースクールに通う三人の若者ですが、何でも屋や墓荒らしといった年齢層が上の人物も登場します。彼らのような、社会の片隅や裏側でひっそりと暮らす人物を魅力的に描いている。それこそまるでピカレスク小説のような、ダークな気配が漂っているんです。

川俣めぐみ(以降、川)脇役の人たちを主人公にして、それぞれの小説が書けそうなくらいでしたよね。

そうそう、しかも、個々のエピソードがクライマックスに向けて、物語の本筋にしっかりと絡み合うんですよね!

ミステリーとしての美点を挙げるなら、まず第一部「無辜ゲーム」ラストシーンの衝撃ですね。そこから終盤への展開も、ものすごく巧みでした。そして、第二部の結末、あのインパクトある一行を、ぜひ読んでいただきたいです! 僕はもう、ただ読者として惚れ惚れしてしまいました。いい小説に出会うと、「どう売ろうか」ということよりも先に、そういう気持ちでいっぱいになるんです。

――ありがとうございます!

ラストの着地が本当に見事で、「うおーっ!」と声を上げたくなりました。

最後の最後まで、正攻法で書き上げられていますよね。余計な小道具を使うことなく、まっすぐに読ませてくれる小説です。

お二人とも、とても熱いですね……! でも本当に、すごく面白かったです。キャラクターがみんな際立っていて、私は特に、ロースクール一の秀才・馨の物語をもっと読みたいなと思いました。それこそ、シリーズ物の主人公にできそうなキャラクターです。

主人公の清義が偶然出会う、女子高生・サクもいいキャラクターですよね? 彼女も、その後が気になる人物の一人です。最初は単なる一エピソードだと思っていた痴漢冤罪のエピソードが、「えっ、そこに繫がるの!?」という驚きがありました。エピソードの使い方と繫げ方がすごい。ただならぬ小説ですよ、これは!

主要キャラクターが背負っているドラマは……結構重いんですよね。

そう! 重くて、切ない過去が……。平凡な家庭や当たり前の環境から外れてしまった人たちの姿が描かれているというところも、読みどころの一つ。さらに、その人間同士の関係性がすごくいい。

――礒部さんはいかがでしたか? いつもお会いする時よりも憔悴されているような……?

礒部ゆきえ(以降、礒)はい、なんだか……とっても疲れまして……。

わかります!

わかってくださいますか……! めっちゃ疲れました!(笑) 以前、朝井リョウさんが、「読み飛ばせてしまうところのない作品にしたいと、常々思っている」と仰おっしゃっていて、その言葉がとても印象に残っていたんです。この『法廷遊戯』もまさに、読み飛ばせなかったですね。めっちゃ疲れて、それでも途中で止められなくて、脳みそヘトヘトになりながら読みました。

一頁ページどころか一行たりとも、読み飛ばせないんですよね、この小説って!

――礒部さん、プルーフ(校正刷り)のページの端をたくさん折ってくださっていますね。

最後まで気を抜けへんなぁと思って、気になるところを折ったらこんなことに。でも、終盤は、じつは折るのが間に合わないくらいに、一気読みでした。ミステリーとして楽しみながらも、考えさせられるところが多くて……。読み応えがあって、本当、ヘトヘトに疲れました……(笑)。でも、読んでよかったです!

著者は、二十九歳なんですよね。リーガルミステリーというジャンルから、これだけ若い新人作家が出るのも珍しいのでは? メフィスト賞の新たな色合いを見られたような気がします。

法律に関連した専門用語も数多く出てきますが、読んでいて不思議とストレスがない。逆に、分かりやすくてためになるというか……。裁判の裏側や、弁護人と被告人、弁護人と検察とのやり取りがリアルで面白いです。

それって、説明が、説明文になってしまうことなく、きちんと小説だからですよね。すんなり入ってくるのって、すごく技術が必要なことだと思います。

さらにテクニカルな話をすると、第一部で「無辜ゲーム」という、この小説オリジナルのゲームを提示することで、法廷という、読者にとって特殊な空間を、身近に感じさせてくれています。ゲームそのものの作りこみもすごい。三人の学生が、告訴者、被告人、審判者にわかれて、模擬法廷の場で、互いに特定の罪について有罪・無罪(=無辜)を検証するのですが、緊張感があるんです。

学生同士の「無辜ゲーム」も面白い設定ですが、そのまま続くわけではない、というのも新鮮でした。

第一部と第二部の切り替えが鮮やかですよね。第一部の冒頭で、まず「無辜」という言葉の説明から入る。それこそ辞書の表記のような。「おっ!」と興味をひかれますし、わかりやすい。さらに作中で、無辜という言葉を知らないキャラクターが、「ムコって? お婿さん?」なんて話すくだりがあって(笑)。真面目ばかりの登場人物たちではなくて、ユーモラスかつ人間くさいところも描かれているところが素晴らしいです。 第一部のラスト、天秤のチャームが揺れる描写は、正義と悪の間で揺れることの暗喩ですよね? このシーンを読んでいるときに、僕は木槌が高らかに鳴る音が聞こえた気がしましたよ!

――わかります。第一部を読み終わった瞬間に、メフィスト賞座談会に上げようと思いました!

そして、第二部の冒頭で、「僕が初めて死に触れたのは、中学三年生の夏だった」という一文から、主人公の過去が語られます。このエピソードが、過去・今・未来を貫いていて、見事すぎて、ゾッとしました。面白い小説って、読み手の体験や記憶まで呼び起こすんですよね。自分のあの思い出は、もしかしたら罪深いことだったんじゃないかな、とか……。

情報の出し方や順番も、とてもうまいなと感じました。一気に説明してしまうのではなくて、抑制が利いています。

まるでモザイク処理された映像が次第にはっきり見えてくるような読み心地でした。「こういう物語だったんだ」「こういう人物だったんだ」と、良いタイミングで気が付かされる。読み手の興味の引き方が抜群にうまい。達者すぎて、デビュー作とはとても思えない!

本当に、デビュー作なんですよね?

――はい。一九九〇年生まれの二十九歳で、弁護士を目指す現役の司法修習生です。

才能のある人って、いるものですね……!

司法試験に受かって、小説も書ける……。なにか、あまり格好良くない弱点を探してほしい(笑)。野菜が食べられない、とか。

――内田さん、その通りです! あまり好きじゃないと言っていました。なぜお分かりに……?

たまたまです!(笑) でも、食に関する記述は、もしかしたら少ないかもしれません。

――それでは最後に、『法廷遊戯』をどんな読者の方にお勧めしたいですか?

まずはやはり、ミステリー好きな方、にお勧めしたいですね。そして、リーガルミステリーというジャンルを毛嫌いしていた方にとっては、『法廷遊戯』はいい入り口になりますし、評論家のような、数多リーガルミステリーを読んできた方にも、受け入れられると思います。

そうですね……、ミステリーファンの方にも、ですが、私は、人間ドラマがお好きな方にもお勧めしたいです。そして、法廷劇を難しいと思っている人にこそ読んでほしいです。

そうそう。私、「リーガルミステリー」とだけ言われても、あまり興味がわかない方なんです。でも、この小説はそういう方々にも、「まず読んでみてください。面白いですよ!」とお伝えしたいです。

それぞれの好みはありますが、すごい才能が出てきた、というところは、一致するはず。この才能を認めない人はいないでしょう、絶対! あとは、リーガルミステリーって、どうしても弁護士や検事、大人がメインの物語になりますが、『法廷遊戯』は若いキャラクターたちが中心となって登場しますよね。だから、十代、二十代の読者にこそ強くお勧めしたいです。まずはとにかく読んでみてもらって、その時には「リーガルミステリー」というジャンル名を知らなくても、いずれどこかでふと「そうか、〝リーガルミステリー〟って『法廷遊戯』みたいな作品のことか」と気がつくのも素敵なのでは? この『法廷遊戯』が、たくさんの若い読者にとって、「初めて読んだ、『法廷』や『裁判』が登場するエンターテインメント」になったら、理想的じゃないでしょうか。

往復書簡 森博嗣×五十嵐律人

  • 五十嵐 律人さんからメールが届きました。

    森博嗣様

    初めまして、五十嵐律人と申します。
    第62回メフィスト賞を受賞して作家の卵になった傍ら、司法修習というカリキュラムを受講中の法律家の卵でもあります。

    この度は、拙著『法廷遊戯』をお目通しいただき誠にありがとうございます。
    本作をメフィスト賞に投稿した際、応募要項に「人生で最も影響を受けた小説」という項目があり、小説を書く動機付けを得たという直列的な理由で、「すべてがFになる:森博嗣著」と記載しました。
    受賞が決まった後の打ち合わせにおいてもアピールし続けた結果、このようなやり取りの場を設けていただくに至ったと推測しております。

    先生の作品を拝読していると、「才能」を書くことの難しさを痛感します。現実世界の天才は実績で認められますが、物語の中の天才は会話や思考の流れで描写しないと読者が納得しないと思うからです(「彼女は天才だ」と一行書いて済むなら楽なのですが……)。
    「すべてがFになる」では、萌絵も犀川も四季も紛うことなき天才で、さらに、才能の濃淡まで描写されていて……、その衝撃が小説を書こうという原動力になりました。

    このままだとファンレターになってしまいますので、俗な質問で恐縮ですが、作家としての才能との向き合い方について考えをお訊かせいただければ幸いです。

    よろしくお願いいたします。

  • 森 博嗣さんからメールが届きました。

    五十嵐律人様

    こんにちは。受賞おめでとうございます。森博嗣です。
    2月に、『法廷遊戯』を拝読いたしました。
    法廷ものは、海外では珍しくありませんが、日本の小説では読んだことがなく、新しさを感じました。日本でも一般市民が裁判に参加するシステムが導入されたので、今後有望なジャンルなのかもしれません。また、ミステリィによくある要素を微妙に外している点も新しく、意欲的な作品だと受け止めました。

    法律というのは、義務教育で習うことがないし、市民は法律をほぼ知らずに社会に出ます。また、日本では論理を学習する機会も少なく、法学というのは、ほとんど「理系」と同じくらい一般から隔絶した世界なのかもしれません。その意味で、マニアックなところを突いてきた、とも感じました。そのマニアックさを、「遊戯」仕立てにし、ライトでわかりやすくした点など、ご苦労されたのではと推察いたします。

    ところどころに専門的な知見が紛(まぎ)れ、物語のキィにもなっています。それらが基盤となって、揺るぎないストラクチャが築かれ、多方面から楽しめる作品に仕上がっています。

    この作品にも天才が登場しますね。「天才的」なのかもしれませんが、司法試験に若くしてパスしているというだけでも凄い人物です。また、主要人物2人も、それに準じる秀才であり、その点では『すべてがFになる』と似たフォーメーションです。天才を表現するには天才を理解する知性を描く必要がある、という道理から、この配置は必然といえます。

    天才を描くには、天才を知っていること、天才を理解できることが条件でしょうか。さらには、やはり論理的な説明が不可欠ですが、その論理の精密さに加えて、なにかしらのギャップ(論理のジャンプ)を見せる必要もあります。そのシチュエーションを創作するには、時間を使って考え続けるしかないと思っています。幸い、小説家には考える時間が充分にあります。スポーツや音楽などライブで実演するものでは、そうはいきません。それに比べれば恵まれています(つまり、凡人でも天才的な小説が書けるという意味です)。

    作家としての才能との向き合い方というのは、あまり考えたことがありません。作家としての自分に向き合ったこともないくらい。僕はそもそも小説をほとんど読まない人間です(今年は『法廷遊戯』1作で終わるでしょう)。他者の才能に触れる機会がほぼありません。自分の才能については、仄(ほの)かに把握していて、それを活かすためには、ただ誠実に書き進めること、地道に書き続けることしかない、という方法を持っている程度です。

    そうですね、もの凄い作品を一作書こう、といった気負いがなく、生涯をかけてただ一作を書いている、その途中だ(しかも、いずれは尻切れ蜻蛉(とんぼ)になる)、という認識しか持っていません。自分の才能というのは、その程度のものだと考えているからでしょう。このあたりは、人それぞれだと思います。

    五十嵐さんは、まだお若いので、可能性が未来に広がっていることと想像します。創作にどんな夢をお持ちでしょうか?

  • 五十嵐 律人さんからメールが届きました。

    森博嗣様

    丁寧な返信をいただきまして、ありがとうございます。
    「法廷遊戯」に関する所感も打ち震えながら拝読しました。

    新人賞への応募を始めたとき、「新しさ」を示せなければ受賞はできないだろうと漠然と考えていました。強烈なキャラクター、斬新なトリック、緻密な心理描写……。いろいろと挑戦する中で行き着いたのが、リーガルミステリーとしての「法廷遊戯」でした。
    ご指摘いただいたとおり、日本の義務教育では、法律を学ぶ機会がほとんどありません。せいぜい、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という(謎の)三大原則を教えるくらいでしょうか。その是非はともかくとして、日常に溶け込んでいるはずの法律が非日常的な存在とみなされているギャップは、ミステリーの基盤になり得ると感じ、そこに自分の過去の断片を添えてみようと思い至った次第です。
    エンタメ要素に重きを置いたリーガルミステリーはまだ開拓の余地があると信じて、自分なりの「新しさ」を愚直に追求していきたいと思います。

    諒解が及ばない領域にいるのが天才なので、才能の濃淡をつけることで橋を架ける……。言うは易く行うは難しだと理解していますが、グラデーションを作ってビビッドな才能を際立たせる描写に挑戦し続けて、いつか四季のようなキャラクターを書き上げられたら、天才の呪縛から解放されるかもしれません。
    私自身、才能は足切りラインにすぎないと考えており、時間を掛けて向き合えるのが創作の美点ならば、それを言い訳に使うのはナンセンスだと気付くことができました。

    創作に抱いている夢……。
    弁護士では成し得ないことを、創作を通じて果たしたいと願っています。クライアントの意向に沿った助言が求められる弁護士とは違い、小説は解釈を読者に委ねることができます。「法廷遊戯」を読んで法律学に興味を持った子どもたちが、義務教育の壁を打ち破って独学で勉強を始める――。そんなきっかけを提示できれば、幸甚の至りです。

    先生がデビューされた当時、「理系ミステリー」もマイナーでマニアック寄りのジャンルと認識されていたものと推察いたします。そのようなジャンルを扱うにあたって苦労した点や心掛けた点があれば、教えていただけないでしょうか。

    よろしくお願いいたします。

  • 森 博嗣さんからメールが届きました。

    五十嵐様

    そうですね、どういうことをしたら犯罪になるのか、教えてもらっていないのに、逮捕されてしまいます。「知りませんでした」では済まないわけです。契約していないのに違反になる。しかも、一方的に法律が変わることがあって、知らないうちに犯罪になる場合もありますね。

    法廷ものは、洋画で古くから名作が幾つかありました。他者を説き伏せなければ、正義が成り立たない、というのは、日本にはない文化だと思いました。日本もこれからそうなっていくのでしょうか?

    人を殺したら、どれくらいの罪になるのか、市民はぼんやりと思い描いている程度です。そうそう、現実が小説と違うのは、本人が「私がやりました」と自白しても、重要な証拠にならない点でしょうか。また、一般市民は、悪いことをした人には反省してほしい、謝罪してほしい、という気持ちを持っていますが、実際には、反省や謝罪は、殺人犯から直接は聞けませんね。それで、小説にそれらを求めるのでしょう。

    理系ミステリィについてですが……、いえ、苦労したくないので、理系の舞台にしました。苦労といえば、「これ、非理系の人たちにわかるかなぁ?」と想像することくらいです。たとえば、「オリンピックの延期も中止も考えておりません」と偉い人が言いましたが、「え? 考えもしないなんて、この人、大丈夫?」と理系だったら不審に思います。「オリンピック中止の可能性はありません」とも言いきりましたが、未来をそこまで確定できることが驚異です。可能性はいつでも常にあるはずです。でも、それが日本人の普通の言葉遣いなのですね(例が不適切なときは、「オリンピック」を「消費税の減税」などに置換して下さい)。

    弁護士を目指されているのですね。理屈が通る世界なのかな、と想像します。日本人は、「悪い人の味方をするなんて」と抵抗感を抱きがちですが、最近はだいぶ親しまれてきたでしょうか? 日本では、アメリカのように超人気で憧れの職業、とまでならないようですが、環境の何が違うのでしょうね?

  • 五十嵐 律人さんからメールが届きました。

    森博嗣様

    ご返信ありがとうございます。

    「法の不知はこれを許さず」という法諺は、刑法にも明記されています。「人を殺しても許されると思ったから刺した」は有罪で、「人だと思って刺したら人形だった」は無罪になる。理屈をこねることは可能ですが、秩序を維持するための線引きをどこにするのかという問題だと私は理解しています。

    日本での紛争の現状として、ネットに氾濫している情報を集めて法律勝負を挑む人自体は増えているようです。ただ、戦いの舞台が法廷になるのはレアケースで、内々に解決することを好むため、そこに争いを公にしたがらない日本人らしさは現れています。用意周到に武器(証拠)集めをする傾向もあるので、探偵の需要は高まっているのかもしれません。名探偵までは求められていないのでしょうけれど。

    犯した罪を罰に換算する役割は、人工知能が担っていくのかなと想像しています。裁判官の役割は、導かれた結論を一般市民が受け入れられるように言語化することで、その点でも動機や反省の弁は今以上に重要視されそうです。

    私も含めて、未来を見据える考え方を苦手としている人は多くいる印象があります。紛争の予防に向けて動くことはあっても、それはマイナスを減らしているにすぎず、プラスに転じようという意識は希薄です。もっとも、未発生の結果をシミュレーションする姿勢が重要なのは否定しがたい事実なので、結局は個人の思想に行き着くのでしょうか。

    「悪人の味方をする弁護士」という反発は根強く、それを完全に払拭するのは不可能だと思っています。和を重んじる日本人にとっては、争って勝ち取る正義よりも、潔い切腹の方が賞賛されるのかもしれないと、半ば本気で諦観しつつあります。だからこそ弁護士の存在意義が肯定されるわけですが、正義のヒーローになるのは茨の道です。

    新人作家として生き延びる難しさを理解した上で、それでも足掻きたいと望んでいます。良質な作品を速いペースで発表し続ける――。その一言に尽きるものと推察していますが、付け加えることが可能なアドバイスがあれば、お聞かせいただけないでしょうか……?

    よろしくお願いいたします。

  • 森 博嗣さんからメールが届きました。

    五十嵐様

    そうですね、ネットの普及で、多くの人たちが言いたい放題の様相となりましたから、法律を捏(こ)ねる人も出てきそうです。今のところは、「専門家の先生に伺いましょう」が普通のスタンスですけれど……。ただ、「名探偵」と呼ばれるほどの人が登場するかどうかは、いささか怪しい感じがします。

    弁護士の仕事はAIに奪われる、と言われて久しいと思いますけれど、あれは英語圏の感覚なのかもしれません。日本でも、法律用語でならばAIに任せられますが、一般の(曖昧な)日本語への翻訳が必要になりそうですし、やはり大衆感情的なものを酌(く)む作業は、まだしばらくは人間の仕事のように感じます(個人的には、無用な作業だとは考えていますが)。

    最近の日本の風潮で気になったことで、(またも悪い例かもしれませんが)老人が運転を誤って大事故を起こしてしまった場合などに、その運転手に対するリンチに近いような言動が多く見られました。まずは、自動車の機械としての不備、その次には免許制度の不備を問題にするべきところを、直接加害者個人への攻撃に移る浅はかさは、多少心配になります。こういった事件で過失のある被告人を真正面から弁護することこそ正義ですが、日本の社会では「風当たりが強すぎる」ことでしょう。その風当たりを恐れて、大勢が口をつぐんでしまうようにも見受けられます。

    小説(あるいはフィクション)に見られる顕著な傾向の一つに、「悪い奴らには仕返しをしなければならない」という古いテーマがあります。これは日本だけでなく、ハリウッド映画でも顕著です。法治社会の歴史が浅いとはいえ、これもやや不安になるところです。現実がそうだから、読者はその(仇討ちの)幻想に満足する、というエンタテインメントと片づけて良いものか、作家にとっては悩ましいテーマの一つとなりましょう。

    作家として生き延びるのは、作家自身の気の持ちようでは、と思います。たとえ作品を書かなくても、私は作家だ、と思い続けられれば、生き延びていることになり、一方、作品を書き続けても、作家として生きた心地がしない人もいるかも(僕はこちらです)。

    大事なことは、他者を気にしないことですね。読者の言うことも気にしない方がよろしいかと。褒められても、貶されても、ほとんど同じ、ただの「声」そして「音」だと受け止める。声や音は、騒がしくても、風みたいな「力」ではないので、押されたり引っ張られたりすることはありません。影響を受けているような気がするだけで、前進も後退も、実は自分の力でしているのです。

  • 五十嵐 律人さんからメールが届きました。

    森博嗣様

    トラブルに巻き込まれて視野が狭くなると、「ネットの情報は玉石混淆」という顕著な事実すら見えにくくなるようで、法律知識がある悪い人の餌食にされてしまいかねません。専門家に頼らない自己防衛が理想だとしても、冷静な客観視が難しい状況にあるならば、弁護士や探偵に限らずとも第三者の意見は聞くべきだと思っています。

    現在は法律事務所で修習中なのですが、弁護士に求められる技能のうち傾聴が占める割合の大きさに驚いています。なので、完璧な相槌を打つ聞き上手なAIが発明されない限り、弁護士は生き残れるはずです。とはいえ、法的な評価が求められる作業(養育費や慰謝料の算定、懲役や罰金の認定等)は、既に大量のデータが集積されており、いずれはAIの独壇場になる気がしています。

    高齢者の交通事故に対する世論を見ていると、自動運転の普及後に起きる事故の責任論がどうなるのかと考えます。メーカー側が責任を負うのが原則のはずですが、車の保有者の謝罪や誠意を求める風潮は根強く残るのではないでしょうか。最終的な責任は人間が負うべきという固定観念は、動物が起こした事故や自然災害でも時折り出現します。

    復讐が法的に正当化されるのは、正当防衛が成立する場合に限られます。フィクションでは、もっと広い意味での復讐が容認されているようですね。それを読者の納得を得るための動機として用いていいのかは、登場人物やストーリーと向き合いながら今後も考えていきたいテーマです。

    作家としての生き方……、思考に刻み込みました。
    他者の声や音に惑わされることは多々あると思いますが(自己分析です)、一方の個性として持つ我の強さと相殺しながら、幻覚や錯覚を振り切って前進していく所存です。
    自分の力で前進するためのエネルギーを、今は小説を書く純粋な楽しさや未来への期待で補っている気がします。きっと、それらはある種のまやかしなのでしょうから、ひた向きに物語を紡いで、地に足をつけて前進するエネルギーを蓄えたいと思います。

    よろしくお願いいたします。

  • 森 博嗣さんからメールが届きました。

    五十嵐様

    小説はほとんど読まないのですが、僕が知っている範囲では、映画や漫画や小説の85%以上は「復讐」がストーリィの骨格にあります。ミステリィも、もちろん「復讐」でしょう。僕が子供の頃に体験した物語では、多くは暴力には暴力で、という結末でしたが、この50年くらいで、少しずつ「後ろめたさ」を感じるようになったのか、和らぎました。ハリウッド映画でも、「とどめ」を刺さなくなったようです。そのかわり、「天罰」で悪者が死にます。

    現実では、とどめを刺せないどころか、明らかな悪者にも天罰が下りません。大衆は、もやっとした感情を抱いているはずです。そこで、せめて言葉だけでも相手を罵(ののし)りたい、といった感情がネットで表面化しているのかも。ただ、その言葉を真に受ける子供がいると悲劇です。

    「正義」とは何か、というテーマは、僕も常々考えるところです。考えるほど答が遠のく問題ですけれど、小説であれば、その複数解を示すことができるかもしれません。小説の持っている有意義な特徴の一つといえます。

    小説のもう一つの特徴は、「なんでもあり」な点、自由さです。これは、僕も小説家になるまで知りませんでした。デビューを目指す人は、なんでもありではなく、ある程度まとまっていなければなりません。とりあえず選考委員や編集者に受け入れてもらわないと作家になれないからです。良い編集者は、なんでもありだと言いますが、そうでない編集者は、売れるものを求めます。ただし、過去に売れたものを知っているだけで、これから売れるものを知っている人はいません。

    デビューして作家になってしまえば、もう自由です。なんでもありだと思いますよ。まとまっている必要もないし、こういうものだ、と思われているものに縛られる必要もありません。読者は、編集者よりも幅広く分布しているので、なにを書いても受け入れてくれるでしょう。

    どうかご自由にご活躍下さい。

  • 五十嵐 律人さんからメールが届きました。

    森博嗣 様

    かくいう「法廷遊戯」も、復讐や正義の在り方をテーマにした物語です。
    「復讐」という自力救済を禁止するのは司法が担う役割とされていますが、禁ずるのみで代替執行機関として機能しているわけではないので、その狭間を埋めるための「正義」がフィクションに求められているのかもしれません。両者(司法とフィクション)に携われる立場にいるからこそ提示できる解決策があるのだとすれば、大きなテーマとして今後も考え続けていこうと思います。

    ――所定の通数に達してしまったので、お礼の言葉を述べさせてください。

    この度は、往復書簡の企画を引き受けてくださり、ありがとうございました。
    先生の作品に対する想いや憧れ、作家として歩んでいくことへの不安、テーマや才能との向き合い方等、デビューが決まる前の想いから現在進行形で抱いている感情に至るまで、さまざまな事柄を整理することができました。

    メフィスト賞が標榜する「面白ければ何でもあり」は、先生を始めとする初期の受賞作家の方々が作り出された流れを、その後の受賞作が受け継ぐことで確立した系譜だと思っています。「面白さ」が主観的な指標である以上、方向性を見失ったり、スランプに陥ったときは、良い意味で開き直って、自分が信じる面白い作品を自由に書いてみます。

    こういった形でのやり取りを実現させるには、本来であればもっともっと実績を積み重ねる必要があったはずです。かなりのショートカットを経たこともあって、尋常じゃないほど緊張しながらの約1週間でしたが、スタートラインに立つ新人作家として得るものが多くありましたし、刺激的で楽しいひと時を過ごせました。

    自由に、楽しみながら……。
    デビューに向けて、今できることを積み重ねていきたいと思います。

    本当に、ありがとうございました。

    五十嵐 律人

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無辜ゲームとは!?む-こ【無辜】罪のないこと。

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書店員 長江貴士さんによる書評

堅苦しい法律の話がたくさん出てくる。キナ臭い事件もたくさん起こる。それなのに、清々しい。
怒涛のどんでん返しも凄かったが、この点が一番見事だと思った。
新人のデビュー作とは思えない骨太の物語だ。

過去は変えられないが、過去の解釈なら変えることができる。
例えば。本書の主人公の一人である久我清義はかつて、人を刺したことがある。詳しい理由は書かないが、それは、正義を貫くための行動だった。彼は人を刺したことを、「正義のための行動だ」と捉えることもできる。
一方で彼は、傷害事件を起こしたことで鑑別所に入れられたことで、期せずして法律と出会う。【感情が入り込む余地がない学問は、ただひたすらに学んでいて心地良かった】と思った彼は、法律の世界を目指そうと決める。つまり彼は、人を刺したことを、「法律と出会うための行動だ」と捉えることもできる。
「人を刺した」という過去は変えられない。しかし、「人を刺した」という過去をどう解釈するかは、自分次第だ。そして、自分次第だから難しい。
【生きるためです】
清義が出会った少女は、自分の行動にそう理由付けをする。
【皆が幸せになってるんです。これのどこが悪いことなんですか?】
墓のお供え物を盗んで食べていた男は、清義にそう問いかける。・
「解釈」というのは、いかようにでもすることが出来る。だから、人の数だけバリエーションがあると言っていい。
気をつけなければ、自分にとって都合の良い「解釈」を人間は選んでしまう。「選んだ」という自覚さえないまま、その「解釈」が「現実そのもの」であったかのような錯覚すら、人間にはお手の物だ。
そうなればなるほど、「過去」と「過去の解釈」は乖離していくだろう。そういう意味で、過去の解釈の変更は、慎重になされなければならない。
さて。本作は、「過去の解釈」を変える物語ではない。「過去」そのものを変えようという物語だ。
タイムマシンなどのSF的な道具立てを一切使うことなしに「過去」そのものを変える。それは、あまりに野心的な試みだと言っていいだろう。そして、その無謀な挑戦に、本書は見事に成功している(誰にとっての成功であるかは、難しい問いだが)。
あまりに無謀なその挑戦を、是非確かめてみてほしい。

内容に入ろうと思います。
久我清義と織本美鈴は共に法都大ロースクールに通っている。底辺ロースクールと揶揄され、過去5年司法試験合格者を出していない。清義も美鈴も成績優秀であるのだが、金銭的な面でこのロースクールを選ぶしかなかった。
最終学年21人は、模擬法廷を使ってよく「無辜ゲーム」を行っている。「無辜ゲーム」が開かれる条件は、「刑罰法規に反する罪を犯すこと」「サインとしての天秤を残すこと」の2つだ。この条件が満たされると、同じ学年の結城馨が審判者となって、「無辜ゲーム」が開かれる。告訴者(被害者)が証人に質問をし、それらを元に罪を犯した人物を指定する。審判者が抱いた心証と告訴者の指定が一致すれば告訴者の訴えが認められ、罪を犯した人物に罰が与えられるというものだ。結城は既に司法試験に合格している秀才であり、こんな底辺ロースクールに在籍している理由ははっきり言って良くわからないが、そんな結城が審判者として裁定するというのが、この「無辜ゲーム」が成立している一つの側面である。
清義は初めて告訴者となった。理由は、彼が「けやきホーム」という児童養護施設で育ったこと、そしてその施設長をナイフで刺したと書かれたチラシが配られたからだ。犯人はまもなく判明するが、この事件は清義に嫌な予感を抱かせた。
しばらくして、同じ施設で育った美鈴に対する嫌がらせが始まることになった。犯人を捉えようと行動する美鈴だったが、結局のところ、その嫌がらせについても、確たることは分からないままうやむやになって終わってしまう。
それから時が経ち、司法修習へと進むことを決めた清義と美鈴。就職活動もし、いよいよ弁護士としての活動が始まろうというその矢先。久々に結城からメールがきた。
「久しぶりに、無辜ゲームを開催しよう-」そのメールが、清義の未来を大きく変えていくことになる…。というような話です。

これは凄い物語だった!冒頭でも書いたけど、とてもじゃないけど新人のデビュー作とは思えない作品でした。現実の法解釈の元で、実際に起こってもおかしくはない「殺人事件を扱う裁判での超絶的な大逆転」が描かれるこの作品は、単なる物語ではない。本書で、薄氷を踏むような精緻さで組み上げられた展開は、そのまま、僕らが生きる現実に対する挑戦状でもあると言えるだろう。
そこには、法治国家の根幹への揺らぎ、みたいなものがある。
本書に登場する「無辜ゲーム」が成立する理由は、「誰もが結城の判断を受け入れる」という前提があるからだ。何故受け入れるのか、という理由は書かないが、結城が優等生だから、というだけではない理由がある。
ルールも同じだ。誰もがルールを守るためには、「ルールが定めた判断を誰もが受け入れる」という前提が無ければならない。詳しい法律論は知らないが、これが法治国家の大前提だろう。
しかし、どれほど矛盾を排除しようと努力しても、どれほど完全を目指そうとしても、ルールは完璧には仕上がらない。人間の人間による人間のためのルールである以上、それはどこまで磨き上げたところで歪さは残る。そして、その僅かに残った歪さの落とし穴に落ち込んでしまう人というのは必ず出てくる。
日本の刑法も、そういう歪さを内包している可能性については決して無視してはいない。間違ってその歪さに落ち込んでしまった者に対してどうするか、それもきちんと定められている。しかし、定められている”だけ”と言うことも出来る。
結城がこんな風に言う場面がある。
【僕の前に十人の被告がいるとしよう。被告人のうち、九人が殺人犯で一人が無辜であることは明らからしい。九人は、直ちに死刑に処されるべき罪人だ。でも、誰が無辜なのかは最後まで分からなかった。十人に死刑を宣告するのか、十人に無罪を宣告するのか-。審判者にはその判断が求められる。殺人鬼を社会に戻せば、多くの被害者が生まれてしまうかもしれない。だけど僕は、迷わずに無罪を宣告する。一人の無辜を救済するために】僕は、迷う。
最終的な結論は同じかもしれない。僕も、一人の無辜を救済するために、十人全員に無罪を宣告するかもしれない。やはり、罪を犯していない人間が不利益を被ることは避けたいと思うからだ。
でも、僕は迷う。本当に、その判断でいいのだろうか、と。人数の問題ではないが、一人の無辜を救済することで、九人の罪人が百人の人間を殺す結果に繋がったら、僕は自分の判断を正しいと信じきれるか、自信がない。
この物語では、徹頭徹尾「ルール」が物を言う。
【俺は、倫理や道徳という曖昧な基準を信用していない】【それでも、ルールに反していない以上、私は選択しなくちゃいけない】【有罪判決が確定したときは、憎むことにするよ】
昨日ニュース番組を見ていたら、コメンテーターが「でも、この法律が出来たから、『法律違反』と言うことが出来るようになったんですよ」という発言をしていた。確かにそうだろう。ルールがそもそも存在しなければ、ルール違反も存在しない。
しかし、ルールが生まれることで、ルール違反が生まれてしまうことにもなる。
「赤信号で渡ってはいけない」というルールは、本来的には「歩行者とドライバーの安全を守るため」のルールだ。だから、深夜、まったく車通りのない通りの信号が赤だったとしても、歩行者とドライバーの安全が明らかに確保されているという状態なのだから、ルールを無視することは許されるのではないか、という気持ちが僕の中にある。つまり、「安全」が優位の概念であり、その「安全」を実現するための下位概念として「ルール」が存在するという認識だ。
しかし、「赤信号では渡ってはいけない」というルールが一度生まれると、「安全」よりも「ルール」の方が優位の概念として受け取られやすい。というか、法律論で言えば、それがきっと正しいのだろう。「誰しもがルールを守って行動する」という了解こそが、ルールを真っ当に機能させる唯一の方法だからだ。しかしそれでも、「危険」を回避するために生み出されたルールが「危険」とは無縁の状況下においてもその強さを遺憾なく発揮してくることに、違和感を覚えることはある。
さらに。ルールが明確化されればされるほど、悪用もしやすくなっていく。ルールがはっきりしているほど、そのルールを通り抜けることさえ出来れば、善でも悪でも関係なくなっていく。というか、ルールを通り抜けたものは善である、というシンプルな諒解が、悪を覆い隠すことに役立ってくれる。
ルールというものはそもそも、そういう矛盾を孕んでしまうものだ。
しかし、普段刑法などに直接的に接する機会のない僕らには、そういう矛盾を実感する機会さえあまりないと言っていい。
そういう我々にとって、本書は、ルールの矛盾を鮮やかに見せつけてくれる作品だ。まさに、「ルールを通り抜けたものは善である」という諒解を逆手にとって、法廷にあり得ない情景を現出させる、魔法のような物語なのだ。
僕らが生きている現実は、様々な解釈が許容されるが、法律という名のルールが切り取る解釈は、無条件に上位に置かれる。その問答無用さは、日常生活の中では感じ取ることができない。一般人が法律という名のルールに触れなければならない時、既にその横暴さに蹂躙されてしまっている時だと言っていいだろう。
だから、【正義の味方になりたいのなら、正しい知識を身に着ける必要があるんだよ】ということになるのだろう。
今回は、何を書いてもネタバレになってしまうかもしれないと思って、ほぼ内容に触れないまま感想を書いた。聞き慣れない法律の話も多分に登場するし、無味乾燥にしか感じられない法律の世界のことに興味を持てない人もいるかもしれない。しかし本書は、読んでみれば分かるが、乾ききった世界ではない。それどころか、「法律」という、知識のない者にはモノクロ画像にしか見えないようなものが、突然カラー画像に変わったかのような驚きを味わうことが出来る。法廷で、あり得ない劣勢をいかにひっくり返すのかという点は、確かにこの物語の白眉ではある。しかし、「どんでん返しが凄い」から凄いのではない。この作品は、「僕らが生きている世界が立脚している土台の脆さ」みたいなものを、現実を通じてではなく、物語を通じて実感させるという離れ業に挑んでいる作品だから凄いと思うのだ。
「ルールを通り抜けたものは善」という判断だけでは、捉えきれない現実が存在する。日常生活では実感できないこの感覚から遠ざからないでいられるように、この物語の力を借りよう。ド級のエンタメ作品でありながら、社会を両断する切れ味を持つ、この作品の力を。

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七人の書評 記

法廷遊戯

陳述の要領

  • 大胆な挑戦にみちた作品であり、将来が実に頼もしい新人だ 池上 冬樹

    弁護士をはじめとする法曹関係者を主人公にしたリーガル・サスペンス(スリラー)は、ミステリの一大ジャンルになっている。スコット・トゥロー(『推定無罪』)のように深く豊かな人間ドラマを捉える文学路線にいくのか、ジョン・グリシャム(『法律事務所』)のように軽快なスピードで読ませるエンターテインメント路線にいくのか、スティーヴ・マルティニ(『重要証人』)のように二転三転どころか四転五転する鮮やかな法廷劇で惹きつけるのかと色々な路線がある。日本でもたくさん出ているが、近年では架空の誤判対策室(刑事、検事、弁護士からなる冤罪調査組織)をメインにした石川智健の『60誤判対策室』(講談社文庫)と続編『20誤判対策室』(講談社)が収穫。ケレンたっぷりな驚きにみちた大胆不敵なゲーム感覚が終盤まで貫かれている。

    本書『法廷遊戯』も、ある種のゲーム感覚の法廷ミステリといっていいだろう。前半はロースクールでの模擬裁判劇(〝無辜ゲーム〟と名付けられている)が進行し、その過程で起きた殺人事件の公判の模様を、後半で具体的に示すことになる。

    最初、とても新人とは思えぬ筆力で、どうして江戸川乱歩賞を目指さなかったのかと思った。第一部「無辜ゲーム」の最後に驚きの場面があり、第二部「法廷遊戯」に移っていちだんとドラマが深く掘り下げられて、もうこれはメフィスト賞ではなく江戸川乱歩賞クラスではないかと思うほど充実していて息をつめて読みふけった。これだったら受賞もありうるのではないかと思ったのだが、終盤に至ってメフィスト賞を選択した理由がわかった。尖りすぎなのである。サーヴィス精神が強すぎるといってもいい。終盤からは正統派の方向にはいかず、少し作りすぎて、それはありえないのではないかとリアリズム信奉者の批判を受けるような真相に辿り着く。ただタイトル通り、法廷における遊戯的な真相が見えてきて観念的になった感があるものの、それが法律制度を逆手にとる予想外の展開にもつながるからゲームとしての面白さは増す。

    その面白さのひとつが、テーマともいうべき罪と罰、そして正義だろう。本書は、ロースクールで起きた殺人事件を新米弁護士の久我清義が担当して真相に迫る物語であり、清義はきよよしと読むが、言いにくいのでロースクールの仲間はみな〝セイギ〟と呼ぶという設定である。ここに作者の狙いがある。実際、清義は〝セイギ〟と呼ばれることに抵抗を感じる。なぜなら「自分の中にあるのが、見せかけの正義だと分かっていたから」である。「罪を犯すことでしか、正義を実現できなかった」からだ。清義は少年時代にある事件をおこして少年鑑別所にいたことがある。そのときに弁護士によって「無知は罪だ」と知り、清義は「不平等な世界を生き抜いていかなければならない。法律は、そのための武器になる」と考えて弁護士になったのである。

    そういう清義の過去から現在までの人生が、物語のなかで軋みをあげる。児童養護施設で一緒だったロースクール仲間の織本美鈴との複雑な関係を絡めて描かれるのだ。いささか動機が先鋭すぎる嫌いはあるものの、若さゆえに法律に殉じようとする者たちの身を裂くような辛さも引き出されており、それが青春小説の文脈で痛々しい輝きにもなっている。たんにリーガル・スリラーだけの面白さだけではなく、青春の苦みも剔出していて印象に残る仕上がりだ。大胆な挑戦にみちた作品であり、将来が実に頼もしい新人でもある。

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  • 制裁と救済を方と情で語る 円堂 都司昭

    第六十二回メフィスト賞を受賞した五十嵐律人『法廷遊戯』は、法律家の道を志す人々が通うロースクールを舞台に始まる。「セイギ」のあだ名で呼ばれる久我清義の過去を告発する写真と新聞記事が、校内で晒された。それは、織本美鈴にもかかわることだった。

    久我は、結城馨に無辜ゲームの開廷を申しこむ。無辜ゲームとは、スクールにある模擬法廷を使った私的裁判だ。被害を受けた告訴者が証人尋問や証拠調べを請求し、罪を犯したとする人物を指定する。審判者の心証と告訴者の指定が合致すれば、犯人に罰を申し渡す。無辜の相手に罰を与えようとした場合は、告訴者が罰を受けなければならない。

    後にスクールを修了した彼らは、再び深くかかわる。模擬法廷が現場となった殺人事件に関し、無辜ゲームでは証人だった美鈴が逮捕される。彼女の弁護を担当したのは、かつて告訴者になった清義だった。

    本作では、殺人事件をめぐる裁判がロースクール時代の無辜ゲームをふり返り、過去の裁判に再び光を当てることになるのが面白い。無辜ゲームの裁判官役は、審判者一人だ。また、検事役の告訴者に対し、被告は自身を弁護しなければならない。下されるべき罰は被害と同じ程度とされ「目には目を」的な発想になっている。実際の裁判の仕組みを単純化してスピードアップしたようなルールなのだ。

    無罪と冤罪は意味が違うこと。刑事裁判の有罪率が高い日本では、検察や裁判官が過去の判決の誤りを認めたがらないこと。そのように法的な妥当性に基づく正しさや自分たちは無謬だと譲らない姿勢が、事件当事者たちの思う正しさと異なることが語られる。登場人物の多くは法律関係者だが、痴漢冤罪詐欺を働こうとしていた女子高生、墓地に寝泊まりして花立や香炉を盗み売っていた被告などの脇役が、ユーモラスでいい味を出している。清義が知りあうことになる彼らは、罪を犯す側の理屈を語る。清義とのやりとりは、法律を解釈する立場と法律に詳しくない一般的な思考とのズレを読者に伝えることにもつながっている。

    自身も弁護士を目指す司法修習生である著者は、物語展開のなかで法律や裁判のありかたについて様々な視点を提供する。そこで浮かびあがる制度の矛盾や運用の隙間が、犯行の動機や被告の態度の真意とも結びつく。裁判をめぐる議論がそのまま人間ドラマになだれこみ、制裁と救済が法と情で二重に語られる。そこが興味深い。注目すべき新人作家だ。

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  • 遊戯の先にあるリアル 大矢 博子

    本格ミステリのサプライズと、リーガル・サスペンスの興奮と、青春小説の痛み。

    そのすべてが『法廷遊戯』にある。

    物語の始まりは、法曹界を目指す学生が集うロースクールだ。そこでは無辜ゲームと呼ばれる疑似裁判が行われていた。学生が何らかの被害にあったとき、証拠を集め犯人を特定し、無辜ゲームの開廷を申請する。審判を下すのは、他の学生とは一線を画す天才ロースクール生の結城馨である。

    ある日、このロースクールの学生である久我清義が児童養護施設出身であることと、かつて傷害事件を起こしていたことを暴露する文書が配られた。清義は看過できず、無辜ゲームの開廷を要請。怪文書配布を目撃した織本美鈴の証言を得て、犯人を罰するに至った。

    しかしその後、今度は織本美鈴の住んでいる部屋のドアスコープに、アイスピックを刺されるという事件が起こる。実は美鈴も清義と同じ施設出身で、ふたりにとっては暴かれたくない過去がそこにあったのだ――。

    というのが第一部の粗筋だ。法律を学ぶ者たちによる疑似裁判がまず興味深い。法という基準に合わせた論理の展開。扱われるのはれっきとした犯罪なのだが、一定のルールのもとで行われるこの疑似裁判はゲームそのもので、論理パズルとしての本格ミステリの醍醐味がたっぷりだ。

    だが清義が司法試験に合格して弁護士の道を選んだ第二部から、その様相は大きく変わる。ある殺人事件の被疑者として織本美鈴が逮捕され、清義がその弁護を引き受けるのだ。はたして美鈴は本当に人を殺したのか。学生時代の事件や施設時代の秘密はどう関係してくるのか――。

    この第二部はゲームではない。リアルの法廷が舞台だ。証拠集めと駆け引き。持っている情報をどこで明かすか。どう明かすか。手に汗握る頭脳戦と、論理パズルに留まらない人間模様のリアリティ。そして新展開があるたびに、実は序盤から周到にヒントがちりばめられていたことに読者は驚くことになる。何気なく読み流した箇所や、さほど重要とは思わなかった描写、あるいは意味深ながらその先まではわからなかったセリフなどが、まったく形を変えて法廷でひとつの物語を作り上げるのである。なんだこれは。これが新人のデビュー作とは。脱帽だ。

    すべてが明らかになったときに、胸に残る痛みと苦味。ミステリのサプライズとカタルシスを十全に味わった上で、読者は罪と罰の何たるかを考えるに違いない。

    今年大注目の本格ミステリであり、必読のリーガル・サスペンスであり――そして自信を持って推薦する青春ミステリの佳作である。法廷「遊戯」の果ての、遊戯を超えたリアルを堪能願いたい。

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  • 人が人を裁くことの本質に切り込む法廷ミステリ 末國 善己

    メフィスト賞を受賞した本格ミステリには、とんでもない変化球もあれば、真っ向勝負の直球もあるので、次に何が出てくるか分からない楽しさがある。第六十二回メフィスト賞を受賞した五十嵐律人『法廷遊戯』も、変化球要素と直球要素を兼ね備えた一筋縄ではいかない作品だ。

    司法試験の合格実績が悪い法都大ロースクールでは、学生たちが無辜ゲームなる模擬裁判に興じていた。

    久我清義は、自分を誹謗する紙を置いた犯人に無辜ゲームを仕掛けられる。審判者(裁判官)は、既に司法試験に合格している結城馨。大学入学前からよく知る織本美鈴を証人請求した清義が、有利な証言を引き出すため息詰まる頭脳戦を繰り広げるだけに、序盤から先の読めない展開が続く。

    第一部「無辜ゲーム」では、この他にも、消えた飲み会の代金などが無辜ゲームの対象になるので、著者は日常の謎と法廷ミステリを融合した独自の世界を作ることに成功したといえる。ところが第二部「法廷遊戯」になると、清義たち三人が、殺人事件の被害者、被告人、弁護人として実際の裁判員裁判に臨む正統的な法廷ミステリになる。その意味で本書は、ルールが異なる二種類の法廷ミステリを詰め込み、それぞれに緻密なロジックの法廷戦術を盛り込んだ贅沢な作品なのである。

    本格ミステリは、伏線を過不足なく処理し、あまりを出さない方が美しいとされる。これに倣うなら、無辜ゲームで争われた事件はもちろん、清義が痴漢冤罪詐欺を行おうとした女子高生に声を掛ける、清義と美鈴の秘められた過去、司法試験に合格している馨が底辺ロースクールを選んだ理由など、一見すると事件とは無関係に思えるエピソードが、不可解な殺人事件とリンクし意外な真相を導き出す伏線になっていく終盤は、まさに本格ミステリの美が凝縮されており、圧巻の一言に尽きる。

    謎が解かれるにつれ浮かび上がってくるのは、法に則って人が人を裁く裁判制度とは何かという問い掛けである。近年、刑事裁判をめぐっては、少年法の撤廃や厳罰化を求める過激な論調も目立っている。こうした現状を前に、本書は、適正な量刑とは、真の被害者救済とは、加害者を更生させるには何が必要か、そして神と違って不完全な人が人を裁き正義を実行する難しさと苦悩などに切り込んでみせる。裁判員裁判が始まり、誰もが裁判と無縁ではなくなった今こそ、本書が二転三転するミステリの醍醐味の中に織り込んだテーマは、重く受け止める必要がある。

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  • 法廷ミステリーのルネッサンスが始まった気がする 杉江 松恋

    どうです、法廷小説はおもしろいでしょう、と鼻を高くした作者の顔が見える気がした。

    五十嵐律人『法廷遊戯』は、第六十二回メフィスト賞を授与された作者のデビュー作だ。

    本作は二部構成になっている。舞台となるのは、過去五年間司法試験に合格した卒業生を出していないという法都大ロースクールだ。その底辺校にも別格の学生がいる。視点人物である久我清義とその友人の織本美鈴、既に司法試験に合格済みながらなぜかロースクールに進んだという変わり種の結城馨の三名だ。第一部の題名「無辜ゲーム」とは、その結城馨が審判者の役割を務める模擬裁判のことである。告訴者は、自分の身に降りかかった被害を罪として特定し、犯人を指定する。その告訴が通るか。あるいは無辜、すなわちなんの罪も犯していないと認定されるか。後者の場合、告訴者自身が罰を受けなければならないのである。

    久我清義が自らの過去に絡んだ名誉毀損事件を無辜ゲームに持ち込むことから物語は始まる。それ自体は「日常の謎」風の小さなエピソードとして終わるのだが、話はまだほんの導入部に過ぎない。その後で織本美鈴が謎の人物によってストーキングされているらしいことがわかり、一気に不穏さが増していく。

    この第一部の美点は、久我清義の眼を通して判明する事実がすべて断片的であるために、何が起きているかさっぱりわからないことだ。不安が頂点に達したところで大事件が起き、唐突に第一部は終了する。読者の興を削がないように詳細は伏せるが、第二部「法廷遊戯」は弁護士になった清義が勝ち目のない刑事裁判に挑むという展開になるのである。第一部の内容がどうつながってくるのか最初のうちはまったく見当がつかないところがまたいい。

    法廷小説が秀作であるための条件とは、法文解釈やその運用に作者ならではの目新しさがあることだ。もちろん、しろうとでも理解可能でなければならない。第一部に無罪と冤罪の違いについて議論する場面があるのだが、そこを読んだだけで本作が必要条件を満たしていることが判る。第一部の不可解な状況の謎は第二部に入るとある人物の動機の問題に接続していく。その展開を追っていけば、小説の中核にあるものが何かは見えてくるのである。正面切って法の問題を扱いながら難解な箇所がなく、全篇を楽しめる。作者はエンターテインメントの作法をしっかり理解しているからだろう。後味もよく、次も読んでみたいという気持ちにさせられる。そうだ、いいな、法廷小説は。

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  • 多士済々の法廷ミステリの世界に新星誕生 千街 晶之

    法廷ミステリの歴史は古く、作例は数多い。海外の古典的作品ならカーター・ディクスンの『ユダの窓』やアガサ・クリスティーの『検察側の証人』などがあるし、弁護士や検察官が名探偵として描かれるケースは、E・S・ガードナー作品に登場するペリー・メイスンあたりを代表として枚挙に遑がない。ゲームから始まって映画・アニメ・小説などに拡大した『逆転裁判』のような超人気コンテンツも存在する。近年では、円居挽の「ルヴォワール」シリーズや阿津川辰海の『名探偵は噓をつかない』のような「擬似法廷ミステリ」もしばしば見られる。

    さて、多士済々の法廷ミステリの世界に、新たな有力作家が出現した。『法廷遊戯』で第六十二回メフィスト賞を受賞した五十嵐律人である。一九九〇年生まれ、司法試験に合格した現役の司法修習生だという。もちろん、法律に詳しいからといって面白い法廷ミステリを書けるわけではないが、この新人の筆力は紛れもなく本物だ。

    主人公の久我清義は、第一部ではロースクールに通う学生として登場する。このロースクールでは、天才的な学生・結城馨の主催で、「無辜ゲーム」という模擬裁判が行われていた。清義はこの法廷で、過去の出来事から自分を誹謗する文書の書き手を馨に裁いてもらおうとする。その過去は、清義と同じ児童養護施設出身の学生・織本美鈴とも関係していた。

    この第一部では清義の身の回りで起きたさまざまな出来事が描かれたあと、ロースクールを修了した清義・美鈴・馨の運命が再び絡み合う。そして第二部では、清義はかつてのような模擬裁判ではなく本物の法廷で、弁護士として被告人の無罪を証明しようとするのだ。

    本書のミステリとしての大きな特徴は、無駄なエピソードが一切ないということである。普通、少しは本筋から逸脱した部分があるものだが、本書の場合は一見無関係なエピソードも、第二部に入るとすべてパズルのピースとしてあるべき場所に収まるのだ。この徹底した機能美には圧倒されるしかない。

    そして、前半は先に述べたような「擬似法廷ミステリ」、後半は本格的な法廷ミステリ――という構成は、恐らくミステリ史上類例がない筈だ。しかも、法律に関する知識や真摯な考察と、外連味たっぷりな劇的エンタテインメント性とを両立させているのだから、これは無敵と言っていいだろう。驚異のデビュー作を是非読んでほしい。

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  • リーガルミステリーの新鋭は、大胆不敵にしてクラシック 吉田 大助

    「法廷もの」とも呼ばれるリーガルミステリーの歴史に、新たな傑作が加わった。第62回メフィスト賞受賞作、五十嵐律人の『法廷遊戯』だ。著者は現役の司法修習生であるという。

    2部構成が採用されている。「第1部 無辜ゲーム」は、底辺ロースクールの学生たちの間で不定期に行われている、カジュアルな裁判ゲームの様子が描かれていく。裁判長席に座るのは、既に司法試験に合格している神童・結城馨。この日、語り手の久我清義(「僕」)は、告訴者として初めてゲームの法廷に立った。16歳の時に犯した罪を暴くビラが、自習室でばら撒かれたことに対する名誉毀損を訴えたのだ。いわば検事として裁判に参加し、クラスメイトからの証言も得て、犯人の名を宣告。結城馨が犯人にくだした「罰」は――。

    わずか25ページでいきなり一発トリックが炸裂し、擬似とはいえ法廷の緊張感も味わえて、罪と罰のバランスという思弁にも触れることができる。しかも、語り手のダークな過去が匂い立つおまけ付きだ。序盤から畳み掛ける手の早さに驚かされたが、読み進めていくうちに唸らされたのは、手数の多さだ。第1部だけでも幾つもの裁判ゲームが進行し、やがて辿り着くのは本物の殺人事件。ブラックアウトののちに物語は第2部として再起動するのだが、ミステリー作家としての手数の多さ、ドラマ作家としての引き出しの多さが、第1部以上に矢継ぎ早に展開されていく。

    リーガルミステリーの傑作と呼ばれるためには、どんな法律を物語のメインに据えるかがキモとなる。世間であまり日の当たっていない、けれど小難しすぎない法律を持ってこられるのがベストだが、それらはとうに食い尽くされている。第2部の終盤の展開は、現代作家のとあるリーガルミステリーを参照しつつ、それを乗り越えようとしているのは明らかだ。つまり、著者は現代のリーガルミステリーが何を描いてきたかについて、無自覚ではない。

    専門的な話題は基本軽やかに、でも時おりあえて難しいままに書く(実はその方が理解しやすかったりする)、というバランス感覚に優れた著者は、ではどんな法律をメインに選んだのか。具体的には2つあるのだが、どちらも新しさとは程遠いものだ。しかし、アレンジ次第で現代でも十二分に輝かせることができると、著者は証明してみせた。

    どこかクラシックでありながら、これぞ新人、の大胆不敵さも併せ持つ。まだまだいける。次なる傑作も楽しみにしています。

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書店員さんのコメント 記

  • 法廷の場で裁くにはあまりにも重すぎる三人の若者の運命は、最後の最後にバラバラの道を選んだけれどお互いの想いは真実だと思う。

    ──くまざわ書店南千住店 阿久津武信

  • 森博嗣さん大好きなので、どれどれ…という気持ちで読み始めたのですが、圧巻でした。失礼なこと思ってすみませんでした……!

    ──ビッグワンTSUTAYAさくら店 阿久津恵

  • あぁ、疲れたぁー! 脳ミソ、ヘトヘトです。皆さん、最後まで気抜いたらあきませんよ! これがデビュー作だなんて、正直、オドロキです。

    ──旭屋書店池袋店 礒部ゆきえ

  • メフィストが、また凄いルーキーを掘り当てた! 新人離れした、多彩な球種・配球に驚愕動転。ミステリー界、一軍入り間違い無し。

    ──大垣書店豊中緑丘店 井上哲也

  • 瞠目すべき逸材現る! 知的遊戯、ピカレスクロマン、家族小説、法廷劇といった様々な要素を編み合わせ、罪と罰、制裁と救済を問う、極めて非凡な筆致を見逃してはならない。

    ──ときわ書房本店 宇田川拓也

  • めっっっっちゃおもしろかったです!! えっ、本当に新人さんなんですか?! 何重にも伏線が張られていて最後の最後まで目が離せなかったです。久しぶりに、素直に「おもしろい!」と推せる作品に出会えました!

    ──明屋書店厚狭店 小椋さつき

  • 感想は一言「こんなラストある? 読み終えたのに全然話、終わらんやん!」です。

    ──大垣書店ビブレ店 金本里美

  • 無罪と冤罪。制裁と救済。天秤が傾くのはどっちなのか最後まで気を抜けない物語。法廷劇をむずかしいと思ってる人(わたしもその一人です)にこそ読んでほしい。ミステリとしても人間ドラマとしても傑作です!!!

    ──紀伊國屋書店横浜店 川俣めぐみ

  • 有罪率90%以上の日本の刑事事件を逆手に取る真実には圧倒されます。また主要登場人物3人のそれぞれの背景が明らかになるにつれ、真相が迷走しさらに袋小路に導かれていくようです。「人」が「人」を裁く難しさを極上のエンタメとして昇華させた作品。

    ──明林堂書店南宮崎店 河野邦広

  • 法廷遊戯というタイトルから連想したのは、検察と弁護人の手に汗握るやり取りかと思いましたが、まさか被告、被害者、弁護人による社会で司法と冤罪について考えるように促す作品とは思いませんでした。弱者が救われる社会であってほしいと願います。

    ──福家書店木の葉モール橋本店 小寺恵理奈

  • 最後まで読んで、ああ最後の最後にこんな結末が用意されているなんて、と息をつきました。目には目を、同害報復は寛容の論理、私も感心してしまうほうでした。しかし切ない……。

    ──真光書店本店 小林麻佳

  • 法律を武器にしたスゴい作家が現れた! 東野圭吾さんの『容疑者xの献身』を彷彿とさせるミステリー。

    ──紀伊國屋書店仙台店 齊藤一弥

  • 圧巻のデビュー作です! 法廷モノとしてもミステリーとしても傑作だと思いました。読み終わった後に「おもしろい小説を読んだ!」という充実感があり、何より、なんだか賢くなった気がしました!

    ──ブックスタジオ大阪店 渋谷宙希

  • 大人って、信用できないもんだなぁと改めて思う。でも、だからこそ自分は信用できる大人でありたい。難しいですが。大人たち、もっとちゃんと生きていこう。子どもを守れる大人でありたい。

    ──ブックセンタージャスト大田店 島田優紀

  • ""無辜ゲーム""でしっかりと心をつかまれました。正義とは、罪とは何か問われている気がしました。

    ──ジュンク堂書店松山店 竹本未来

  • 最後まで予想のつかない展開の問われるセイギ。弁護士と被告人、そして被害者の、どの立場になっても考えさせられる描写は圧巻。それぞれが守りたいものは何なのか……その目で確かめて感じて欲しい。

    ──三省堂書店名古屋本店 田中佳歩

  • メフィスト賞の新人、レベル上がりすぎでは。次は何が起こるのかと気が急いて、血眼で完走してしまった。あまりにも切実な3人それぞれの正義は、どんな形であれ美しかった。

    ──ジュンク堂書店吉祥寺店 田村知世

  • 法学の解釈と社会一般での罪のとらえ方、扱い方の違いで様々な認識のズレが起こり、それによって罪の軽重や犯罪の認定の差が出ることが、読者に対するトリックにもなっていて、様々な読み方のできる驚きを持った一冊。

    ──正文館書店 鶴田真

  • 人の罪を裁けるのは、その法律を作った人間でしかありえないが、与える罰は制裁であってはならないと思う。登場する犯人たちは、犯した罪を悔悛することはあるのだろうか。

    ──書泉グランデ 中冨美子

  • 無罪と冤罪、罪と罰、救済と復讐、同害報復、法律について、何が善で何が悪なのか考えさせられる物語でした。被害者の意図が見えずに展開される法廷でのスリリングな公判、バラバラに散らばったピースがみえない線で繋がっていく様がとても面白く、ぐいぐい引き込まれて夢中で一気読みしました!!

    ──ジュンク堂書店名古屋栄店 西田有希

  • この作品がデビュー作とはとても思えない骨太さ!! 1ページ目からぐいぐいひきこまれ、一気読み。法廷ものは難しいんではないかという読みも見事に裏切られました。人間の複雑さ、それ故の葛藤、罪と罰について、読了後も様々な感情がうずまいています。すごい作家が現れた!! と声を大にして叫びたい!

    ──ブックランドフレンズ 西村友紀

  • 久しぶりの一気読み小説。読みながら動機が激しくなる。先が知りたい、謎の意味を知りたい。頭と心、そして身体が全体が興奮する。そう、まさにこれはアドレナリン放出小説だ!

    ──精文館書店中島新町店 久田かおり

  • またメフィスト賞がやってくれたな! 前半の「無辜ゲーム」でも十分論理展開で楽しめたのに、後半にかけての怒涛の展開……。法廷もの大好きなので、それだけでもおなか一杯ですが、さらに泣かせるところが心憎い。

    ──精文館書店本店 保母明子

  • 最初から最後まで、一切無駄がない。「あの1ページ、あの一文にはそういう意味があったのか」読後に明かされるキーセンテンスの波、波、波。それゆえ、どんどん物語に吸い込まれていく。五感も喜怒哀楽も持っていかれる感覚。まるでアカデミー賞クラスの映画を観たような読書体験ができる一冊です。

    ──喜久屋書店千葉ニュータウン店 堀一星

  • ページを開いた最初から最後まで、こんなにも脳をフル回転させて読んだ作品は初めてです!! 一瞬も見逃せない圧巻の法廷ドラマに息をのみます!! ラストの一文に……震えました!!

    ──紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子

  • 法廷劇の難しさと面白さ。手のひらの上で二転、三転とコロコロ転がされて、落っこちないように踏んばるのが大変でしたが、面白かったです。

    ──鹿島ブックセンター 八巻明日香

  • 新人天才作家が仕掛ける〈天秤〉に、いつのまにか自分の脳も載せられていた。ノンストップの迫力で、読後放心! まったく予想できなくて、息がつけなくて、家族を絡めた感情が飛び交い、こんなにすごい遊戯に本という媒体を通して参加して、くたくたになった! 惜しみなく拍手を送りたい、令和のスタオベミステリーです!

    ──うさぎや矢板店 山田恵理子

  • 軽々しくエンタメと言ってしまうのは抵抗がありますがとにかく面白かったです。

    ──書泉ブックタワー 山田麻紀子

  • この著者何者! 逸材現る! 油断できない、もう翻弄されて息もつかせぬ展開に読む手が止まらなかった。法と制裁と救済、大変重いテーマをはらんだミステリーで重みがあり、深く心につきささった。

    ──ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理

  • それぞれの思考、決断が強い説得力を持って迫ってくる。そして馨の思考、推測。罪と罰、無辜と冤罪、そして天秤。頭をフル回転させながら気づけば一気読みでした。

    ──文真堂書店ビバモール本庄店 山本智子

  • 対的な判断が万人を救う真実であるとは決して限らない。その両方と狭間を容赦なく切り刻む様子に胸が詰まる。そしてそれでも信じる何かとは? この本によって驚くべき才能が誕生した。

    ──大盛堂書店 山本亮

  • 重厚な人間ドラマにグイグイ引き込まれ、2部にはいってからは一気読み。先が気になってやめられない。頭を使って読んで、疲れるけど気持ちいい。結末がどうなるかまったく想像つかなかった。

    ──宮脇書店ゆめモール下関店 吉井めぐみ

  • 息をするのを忘れる位ただひたすら読みました! 法廷という場での証言、それに対する返論のぶつかりあいがとても気持ち良かったです。

    ──岩瀬書店富久山店 吉田彩乃

  • 裁判に抱いていたイメージは曲線のすきが入らない一直線でした。読み終わったら、単色ではなく、多色。濃淡ありの、うねった線ができあがった気がします。

    ──文教堂北野店 若木ひとえ

  • 本当に新人らしからぬ文才!! 法学部がある当店でもお手に取る人がいると思います。

    ──名古屋大学生協南部生協プラザ 渡邉典江

装丁のあとがき

『法廷遊戯』のカバーが
できあがるまでの過程が明らかに!
ふだんは目にすることのできない、本の装丁ができあがるまでのデザイナーの
「仕事」を文芸ニュースサイト「TREE」で特別公開しています。

装丁のあとがきはこちら

法廷遊戯

著者の一日

  • 1:00 就寝

    羊を数える代わりに次の日に書く原稿について考えていると、極々稀にアイディアが舞い降りてくることがあります。そのまま眠ると99.9%(日本の刑事裁判の有罪率)忘れるのでメモを取る必要があるのですが、スマホに打ち込むと目が冴えてしまいます。そこで、レコーダーアプリを起動して仰向けで喋り続ける技を編み出しました。

  • 7:30 起床

    アラームを止めてスマホを見ると、眠る直前に喋った内容が音声ファイルとして保存されています。意気揚々と再生してみるのですが、まともに聞き取れたのは「訴えすぎる人たち」という謎のフレーズだけで、どれだけ考えても意味がわかりませんでした。

  • 9:00 修習前半戦

    記録を読み込んだり、裁判を傍聴したり、書面を起案したり、修習生と議論したりして、法律実務の知識や経験を身につけようと修習に励みます。よく「六法全書の内容を覚えてるんですか?」と訊かれますが、もちろん覚えていません。ただ、極々稀に条文マスターに出会うことはあります。

  • 12:00 昼食

    修習生と近くの食堂に行きます。親子で経営していて、喧嘩が絶えない食堂なのですが、その日はとても静かでした。「息子が風邪を引いた」と常連客に話しているのが自分だけ聞こえて、「昨日具合が悪そうだったから、おそらく風邪だ」と他の修習生に推理を披露したら、人間観察が趣味の痛い奴を憐れむ目で見られました。

  • 13:00 修習後半戦

    記録を読み込んだり、裁判を傍聴したり……以下略

  • 18:00 帰宅、夕食、仮眠

    冷凍パスタを食べて、レッドブルを飲んで、1時間仮眠します。
    アルギニンの効能か、罪悪感の副作用かは不明ですが、短時間で良質な睡眠をとれる気がします。

  • 20:00 執筆

    前日に書いた分を読み直してから、二度目の睡魔が襲ってくるまで、できる限り原稿を進めます。集中力がないので、いつの間にかYouTubeが画面を占有しています。

  • 0:00 一日終了

    作家としても、法律家としても、孵化できる日を心待ちにしています。

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